lycoras

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虐待とはなにか

今日は朝から夕方まで大学の講義があった。しかしもう今日は最後の講義以外はいかないことにした。

 

知ってしまったからだ。

 

「虐待を受けている児童に対してのメンタルケアで一番難しいのは虐待を受けていることを認めさせること」

 

僕は脳が理解すると同時に考えてしまった。

 

言葉の意味を自分に当てはめて、深く考えた。

 

はたして僕は虐待を受けていたのだろうか。

 

 

 

「常識とは18までに培った偏見である」

 

 

 

誰だか忘れてしまったが偉い人がこう言っていた気がする。

 

それならばあと少しで齢19になる僕は常識を完成させる前の真実の目で今こそ見つめなおしたい。

 

 

 

 

そもそもこの件についての始まりはもっと前の話からであった。

 

 

山奥でのボランティア活動が終わった後の打ち上げで、ある話題が場を制した。

 

「トロッコ問題」

 

多くの人が知っていて古臭いものであるがしばらくの間デジタルから隔離されていた僕らにはお似合いだった。

 

知らない人のために説明しておくと、

線路上を走るトロッコが制御不能になり、そのまま進むと5人の従業員が死ぬ、ただしあなたがレバーでトロッコの分岐点を切り替えると違う分岐点にいる1人の従業員が死ぬ。あなたは分岐点を切り替えるか否か。

という問題である。

 

だんだんと焼き肉店の熱気にやられてきた僕らは5人の従業員と1人の従業員を別の人物に当てはめていた。

 

例えば、「母」と「婚約者」。

 

これについて僕は迷う必要がなかったし、これを読んでくれている人も僕がどちらを選ぶかなんてもうすでに明かしている。

 

しかし僕がそちらを選んだ理由は愛ゆえだった、愛ゆえその人がそれを望んでいると思ったのだ。

 

というのは、今思えばきれいごとだったのかもしれない。

 

ただ単にあの人のほうが好きだったもしくはその人のほうが嫌いだった。

 

それだけの話なのかもしれない。

 

そんなことはどうでもよくて、火を見るよりあやふやだけど、僕の瞼に焼き付けられているのは先輩の言葉だった。

 

先輩は指につけた指輪をきらめかせながら余裕の笑みで言った。

 

「婚約者かな、親嫌いだし」

 

僕は生まれて初めて自分の親を否定している人を見つけた。

 

というかそれはありなのかと、じゃんけんで後出しをされたような気分に陥った。

 

あれ現実でやってみ、相手がものすごい何とも言えない顔になるから。

 

続けて彼女は何でもないような顔をして僕に言った。

 

「君のそれはあれだね、愛ゆえだね。私とは違うよ」

 

見事に見抜かされて僕は安心した。

 

それなのに彼女はまるでそれが当たり前であるかのように自信に満ちた顔をしていて、ちょっと悔しかったし、うらやましかった。

 

だから僕はそれ以来自分が自分のお父さんとお母さん、いや彼と彼女のことを嫌っている可能性を常に胸に秘めていた。

 

 

ここまで読ませておいて非常に恐縮だが、僕は親から暴力を受けていたわけでも、愛情を注いでもらえなかったわけでもない。

 

しかし、

 

「虐待を受けている児童に対してのメンタルケアで一番難しいのは虐待を受けていることを認めさせること」

 

この言葉は非常にずるく、狡猾で、僕にどちらの「味方」をすればいいのかわからなくさせる。

 

いや、強いて言えば物の「見方」の話だ。

 

僕はいままであまりにも妄信的な見方で彼女と彼のことを見つめていたのかもしれない。

 

ふと思い出すのは真夏、汗だくで帰ってきた僕に彼女は笑顔で麦茶を差し出してくれた。

 

人生で一番うまかった飲み物は間違いなくその麦茶だった。

 

その麦茶にはありったけの愛が詰まっていた。

 

 

 

脳裏にちらつくのは秋、駐車場、電灯、車、冷たい風、コンビニ。

 

その時僕は彼女のことが一番わからなかった。

 

 

 

彼との思い出は何だっただろうか。これといったものはないが家で二人きりになったとき彼は僕に毎回、一緒に買い物に行くことを強要した。

 

僕がいつも渋るので彼は余計ぶっきらぼうな言い方で強要してくる。

 

非常にめんどうくさかったが日常的に彼の不器用な愛を感じる瞬間だった。

 

 

 

過敏性腸症候群と受診されたとき彼女か彼はおそらく原因が彼にあることに気づいただろうか。

 

当時の僕は病気になるほどのストレスがどこから来ているのかよくわからなかったが、いまならわかる。

 

彼は怒りっぽい人だった。要領の悪かった幼い僕とは最悪の相性であった。

 

 

愛されていなかったわけじゃない、常に愛されていたわけじゃない。

 

こんなの当たり前だろうか?

 

僕は、はたして真実の目で事実を見ることができているだろうか

 

ニュースキャスターがいう虐待をうけていなかったことは確かである。

愛情を注いでもらえたのは事実である。

 

僕には、僕がわからない。

 

 

先輩をうらやましく思う。あんな風に自分を知るのは僕には無理だろう。

 

いや、彼女は諦めているのかもしれない。自分が親を愛するのを。

 

調子に乗るので本人には言わないが、僕はその先輩のことが結構好きだ。といっても人間的な意味で、

 

先輩は僕と同じ匂いがする。

 

なのに、些細なことで僕ができないことをやってのける。

 

簡単に言えば、僕は先輩にあこがれているのかもしれない。

 

憧れの先輩が親のことが嫌いだというから僕もそれをまねているだけなのかもしれない。

 

それが一番いい終わり方だろう。

 

 

僕は、先輩にあこがれて、親のことを嫌っている風にしていた。

 

ただそれだけの話だった。

 

草々不一。